✅少子化の影響を実感し、自身の母校の行く末にも思いを馳せている。
✅臨時講師を務めた経験があり、活動を楽しんだ思い出を懐かしく振り返っている。
✅当時の経験や人とのつながりへの感謝を改めて思い出した。
切ないニュース
驚きました。
鹿児島純心女子短期大学の募集停止と閉校
https://www3.nhk.or.jp/lnews/kagoshima/20250124/5050029560.html
少子化は確実に訪れていますね。
純短が母校の方は寂しい思いをされた方もいるのではないでしょうか。
実は私もその一人。
正直、他の学校なら記事にするまでの感情は湧かないんですが。
純短にはけっこう思い入れがありまして。
短い期間ではありましたが、実は社会人になってからちょくちょく学校にお邪魔してました。
縁あって女子短大へ

きっかけは高校の同級生が純短の軽音部に所属したこと。
“軽音部”っていう名称であったかは記憶が曖昧なのだけど、実態は軽音部。
“バンドを結成したのだけれど簡単な曲って何かある?”
と相談を受けたのが始まりでした。
私は当時からバンド活動が好きで、よくバンドを結成してはライブしてたので頼ってくれたようです。
特に、ギターを担当する方は、ギターを始めたばかりで練習もなにから手をつけたらいいかという感じだったので焦っていたようでした。
私もそのときは自分のやっているバンドも無かったし、仕事後の時間も何もすることなかったので、とりあえず話を聞きにいきました。
初めて、女子短大という地に足を踏み入れたときの不安は今でも鮮明に覚えてます。
周りに歩いている学生はみんな女性。
一方、部室までの道のりをキョドりながら歩く先生でもない中途半端に若めの男。
完全に不審者でした。すいません。
まさかの外部講師
ようやく部室についたときの安堵感たるや。
さて、そこで同級生含め5人で結成されたメンバーと会いました。
話をきくと、当面の目標は学園祭でのライブとのこと。
スコアが用意できそうな簡単な曲を探して話し合ったのを覚えています。
ギターの方は練習を始めてまだまだ日が浅かったので、少しだけアドバイスをしていたりしたら、期間限定の軽音部の講師になってくれという話に転じていました。
といっても、私はとても人に教えられるレベルではなかったし、教える経験もなかったので最初はとても迷いました。
残業もないとき、仕事後のちょっとした時間だけしかなかったしね。
それでもこんな風に頼って貰えることってあまりないことだし、縁だし。
完全ボランティアということでその話を受けました。
一時的にほんのちょっとの間だけ、純短軽音部の外部講師になりました。
メンバーがみな同級生だったのもあって、通っているときはとても楽しかったです。
結局、今思い出しても、的確なアドバイスできてなかったよなぁとか後悔ばかりが浮かびますね。
後悔と申し訳なさはあるけど、同時に、頼ってくれた5人にはとても感謝しています。
ライブには仕事の事情で行けなかったのだけど、とてもいいライブだったようです。
“教える”って”教わる”ってこと
人に何かを教えるときって自分もしっかり勉強しないといけないんですよね。
気持ちの言語化も、どうすればうまく伝わるか考えながらやれたのはいい経験でした。
逆に私の方が教わることが多かったです。
正直忘れていることもたくさんあったんだけど、今回の報道を見て、一気に記憶が溢れてきました。
短大前の坂道とか、敷地内の感じとか意外と思い出せるもんだね。
少子化問題はもう足元まできてますね。
鹿児島県内の公立高校の68校中58校は募集定員に希望者数が満たなかったと聞きました。
いつか私の母校も無くなってしまうかもしれない。
久しぶりに奥にしまってある卒業アルバムでも広げてみようかな。
こんな記事ってどう?